月がほのかに霞んでいる。
――こういうのを確か、朧月夜と言うのだったか。
縁側に腰かけてぼんやりと、死々若丸は月を見上げていた。
良い夜だ、と心の中で呟いて静かに笑う。
邪魔な音も邪魔な鈴木もない、自分だけの時間――
――は、唐突に終わりを告げることとなる。
「あれ、死々若け?」
一陣の風と、それに乗ってきた風使いによって。
『ある春の夜、タンポポの綿毛を追いかけた陣の話』改め、
『角コンビが春の夜におでかけした話』改め、
『ゆらり朧月の夜に』
「…………何か用か。」
邪魔をされて不機嫌だということを前面に押し出して反応するが、それを陣が気にするはずもなく。
「用?んー……別にねーべや。」
返された言葉に脱力しつつ、死々若丸は陣が何かを持っていることに気づいた。
「それは何だ?」
「ん?ああ、ほれ!」
突き出されたそれは、たんぽぽの綿毛、数本。
「これ見っと、ついつい吹いて飛ばしたくなっぺや。で、どうせならいっぺんに飛ばしてやろーと思ったんだべ。死々若も吹かねが?
」
「いやいい。」
「あんだかー。」
即決で断った死々若丸を少し残念そうに見たものの、気を取り直して陣はタンポポを顔の前に持ってきた。
そうして大きく息を吸った後、ふぅ、と吹きかけると、大量の綿毛が空に吸い込まれていった。
「あっはは、すげぇだな!」
「……えらい量だな。」
「この種はどこさいくんだろーなー。」
「さぁな……」
運ばれていく種をじっと目で追う陣から目を離し、そろそろ自室に戻ろうかと死々若丸は立ち上がった。
それとほぼ同時であった。陣の目が、きらきらと輝いたのは。
「……よしっ!いっちょ行くべ!」
「は?」
「死々若は最近昼間寝てばっかださげちょうどいいあんねが?」
「……何が。」
「追跡。」
「……何の。」
「種!」
「……何で。」
「ちょうどいい具合に、今日はいい風が吹いてっから。」
色々足りなさ過ぎて若干頭が痛くなってきたが、陣にとっては、理由なんてこれで十分なのだろう。これ以上尋ねてもおそらく無駄だ
。
「なーなー、一緒に行くべやー。」
駄々っ子のように腕を引っ張る陣に、死々若丸は大きくため息をついた。こうなったら逃げられないのは凍矢を見てよく知っている。
「……とりあえず手を離せ。」
「ししわかぁー……」
「自力で飛べるぞ、オレは。」
え、と思わず風を収めて手を離すと、死々若丸は一瞬で小鬼姿に変身した。
そこでようやく言葉の意味を理解した陣は、みるみるうちに満面の笑みになった。
「さーあ今宵も始まりました『陣の気まぐれ散歩道』、今晩はゲストに死々若丸をお招きしてお送りしまーす♪」
ご機嫌な様子で、月明かりを背負いながら陣は夜空を飛んでいた。
その少し後ろを小鬼姿の死々若丸が付いていく。
「なんだその口上は。しかも標準語。」
「なんからじお?とかいうやつで言ってたのを真似してみたんだべ!」
「ふうん。」
「それではここで一曲聞いていただきましょー!たったーたーらららかっぜーがーびゅびゅんっとーひっとーりーぼおっちー♪」
「割と適当だな。というか曲名は言わんのか。」
「お送りした曲は、微笑みの爆拳でした!」
「詳細はよくわからんが否定したい気分でいっぱいだ。」
「さぁさぁこの後も夜空の散歩楽しんでいきまっしょー!」
「それではいったんCMでーす。」
なんだかんだでノリは悪くない死々若丸であった。
「おっ、副隊長!どうやらターゲットは右……だからえーっと東?にむかっているよーです!」
「誰が副隊長だ。というか右が東だとは限らんだろう阿呆。ついでにそっちは南だ。」
「んだんだ、南に向かってっぺ!」
陣の言うとおり、一旦高くまで昇った種子は、風が少し変わったことで南へ向かいながらゆっくりと降下し始めていた。
「こっちの方さ来たことねーからなー。すっげわくわくすっぺや!」
「まぁ、帰り道は鈴木たちの妖気を探ればいいが……あまり遅くはなりたくないな。」
「んー、この風具合ならそろそろ落ちるんでねーべか?……あれ、死々若あそこ!」
陣の指差した方、ある一点を見て、死々若丸も首をかしげた。
月明りに照らされた濃い緑が広がっているのに、その一点だけぼんやりと色が違っている。
「あれ何だろな、うわードキドキすっぺ!」
既に陣の機嫌は最高潮、耳もピンと尖っている。そして何の偶然か、種の到着地もおそらくその辺りになりそうだった。
「……わぁ……」
「見事だな……」
降りた地にあったのは、大きな桜の木だった。
空から見ても目立っていたそれは、近くに立てばより存在感を増している。
更に夜というまた特殊な状況も相俟ってか、昨年、昼間に見たものとは雰囲気がまるで違っていた。
「……今度は桜の花弁を追いかけるなんて言うつもりじゃないだろうな。」
呆けている陣を見て、頭を掠った嫌な予感に死々若丸は顔をしかめるが、陣は笑いながらそれを否定した。
「ははっ、それはしねーべや。んだって――」
陣の発した風で、地についた花弁が再び舞い上がった。
「とりあえず今散っているこの花弁の行き先はわかってっさげの!」
.
.
.
(……静かだ。)
読んでいた本から目を離して、凍矢は心の中で呟いた。
鈴駒はいつも早く寝るし、酎は月見酒といったところだろう。あれでいて、一人で飲む時は静かな奴だ。
鈴木は自室に籠ってなにやら怪しげな研究をしている。
だがそれはいつもと同じことなので改めて静けさを噛み締めるほどのものではない。
では何が違うのだろうか?――決まっている。
(陣がいない、それだけなのにな。)
『死々若と一緒に散歩してくっぺ!多分日付が変わるまでには戻っぺや!っつーことで行ってきまーす!!』
『ああ、知らない妖怪にはついていくんじゃないぞ。』
そんなやりとりをしてから数刻。
(陣がいないとこんなにも静かになるのか。)
何となく物足りないような気もするが、たまにはいいかと思い直して凍矢は再び本に目を落とした。
「……ん。」
十数頁進んだ辺りで、慣れた気配を感じて凍矢は本を閉じた。
そのまま立ち上がって縁側に出れば、ちょうど二人が空から降りてくる所だった。
「お、凍矢!」
「おかえり、陣。」
「ただいま!」
「死々若もおかえり。陣は気まぐれだから大変だったんじゃないか?」
「あー……行きはともかく、帰りが大変だったな。すぐ寄り道したがってた。」
少々疲れた様子の死々若丸に、凍矢は苦笑しながら労いの言葉をかける。
そのやり取りをそわそわしながら見ていた陣だったが、限界が来たのか、無理やり二人の間に割り込んだ。
「それより!見せたいもんがあんだべ!」
凍矢の手を掴んで庭へ引っ張り出そうとする陣を尻目に、死々若丸はつい、と凍矢の横を過ぎて家の奥へと入っていった。
「オレはもう寝る。」
「え、死々若は見ねーんだか?」
意外だと言わんばかりの陣の声に、死々若丸は振り向かずに答えてやる。
「凍矢への土産なんだから、オレは遠慮しておく。」
「んだか。」
納得したのか、陣はそれ以上追及することはなかった。
凍矢を庭に下ろすと、陣は凍矢から少し離れて大きく手を広げた。
「んだば凍矢見てけろ、せぇ、のっ!」
そう叫んだ瞬間、陣の妖気が膨れ上がり、それに呼応するかのように風が強く吹いた。
「んなっ、いきなり何っ……」
咄嗟に凍矢は目を瞑るが、風はすぐ落ち着いたようだった。
「……?」
ゆっくりと目を開けた凍矢は、目の前の光景に思わず息を呑んだ。
「うわ……」
空から桜の花びらが降っている。まるで、桜の木がそこにあるかのように。
「これ……」
慌てて陣を見ると、陣はニッと笑ってみせた。
「土産だべ。花だけ連れてきた!」
風を操っているのか、花弁はなかなか地面に落ちずにゆっくりと宙を舞っている。
まるでスノーグローブのようだ、と凍矢は思った。
月明かりが照らすその光景は、幻想的という言葉が一番しっくりくる。
「すごい、な……」
そう言うのが精いっぱいな凍矢に、陣は得意げな顔になった。
「だろー?南・・あれ、西?まぁいいべ、向こうの方さ行ったらもう桜咲いてたんだべ。」
「そうか……じゃあきっとこっちももうすぐ咲くな。」
「んだんだ。」
酎が早く花見をしたいと言っていたのを思い出し、凍矢はくすりと笑う。
「こっちでも咲いたら、また花見さすっぺ。」
どうやら陣も同じことを考えていたようだ。
「オレもそう言おうと思ってたところだ。明日またみんないる時に話してみるか。」
「だな!」
花見にはどんな料理を作っていこうか、と考え始めた凍矢を少し眺めて、陣はおもむろに口を開いた。
「やっぱ凍矢が一番だやな。」
「は?」
首を傾げた凍矢に、深い意味はねーんだども、と前置きしながら、陣は頭の後ろで手を組んだ。
「死々若といるんも悪くねがったんども、やっぱ凍矢がいねえとなーんか物足りねぐでよ。」
「そうなのか?」
「んだ。」
「……なんか改めて言われると照れるな……」
「んだか?」
「んだ。」
真面目な顔で頷いた凍矢に、陣は一瞬きょとんとした後、盛大に吹き出した。
「ぶはっ、なんか凍矢が言うと変だぁ!」
「オレもそう思う。」
「ははっ、あーおもしろ……。……そんでえっと、何だったっけか?」
「それをオレに言わせるのか。……ちょっと物足りなかった、って話だろ。」
「あーうん、んださげって次はちゃんと凍矢も連れてくべ。な!」
「約束?」
「約束。」
そう言って陣が小指を出すと、凍矢も同じように出して、軽く絡めた。
その子どものような仕草に、二人同時に、小さく笑った。
.
.
.
とたとたと小さな足音をさせて、死々若丸は廊下を歩いていた。
(別にこれは、特別なことなんて何もないんだからな。陣につられた、ただの気まぐれなんだからな。)
誰に言うわけでもない言い訳を考えて、うんうんと一人頷く姿は傍から見れば滑稽なものだったが、本人はそれに気付くこともない。
(そうだ、陣があんなこと言ってたから……)
だからうっかりつられたんだ、と言い訳に合わせてしかめっ面を作りながら、死々若丸は桜の木の下での会話を頭の中で反芻した。
『で、その花弁をどうするつもりだ?』
『凍矢に届けるんだべ!』
『……まぁ、大体想像はついていたが。しかし、凍矢はそんなに桜が好きだったか?』
『さー?』
『さー?ってお前……』
『でもきっと、笑ってくれっぺや!』
「笑ってくれる、か。」
呟いて、死々若丸はちらりと右手を見る。
(自分のは、陣の「土産」には到底敵わないけど。……まぁ敵う必要なんてないがな。)
(それでも……きっと笑うんだろう。あの憎ったらしい顔で。)
そう思うと何となく恥ずかしくなってくるが、目的地はもう目の前だった。
「……鈴木。」
集中している背中に声をかけると、一瞬も間を開けずに鈴木は振り向いた。
「おぅ若、おかえり。陣とどこかに行ってたんだってな。楽しかったか?」
それには答えず、死々若丸は軽く飛んで机の上に乗った。
「みやげだ、くれてやる。」
差し出された小さな手のひらには、一片の桜。
それをまるで宝石か何かのようにそっと受け取った鈴木に、死々若丸はなんだかくすぐったいような気持ちになる。
「お、桜じゃないか。ありがとな、若。」
「ふん。」
「早速『春の新薬』に使わせてもらうよ。」
「春の新色みたいに言うなアホ。」
ゲシ、と顔に蹴りを入れて、死々若丸は急いで机から飛び下りる。
「冗談だ、大事にするからな!」
追いかけるようにして降って来た声をドアの向こうに押しやって、死々若丸は少し赤くなった頬を押さえながら自室へと走った。
(喜びすぎだ、あほ。)
ぱたぱたと、照れを隠し切れていない足音が静かな廊下に反響した。
こうして、妖怪二人(と相方二人)による或る春の夜の小話は、めでたしめでたしで幕を閉じたのである。
尚、死々若丸が部屋を出てからすぐに、それまでやっていた研究を一時中断して「花弁を半永久的に保存できる薬」の開発に
取り掛かり、約一日で完成に至ったことは、『或る魔闘家の華麗なる半生』(美しい魔闘家鈴木著)に記されている通りである。
(終)
これも企画に出させていただいたものです。二作品まで大丈夫とのことでしたので、もう一つ春を届けさせていただきました。
一つ目が明るい時間の話だったので、今回のは暗い時間、早い話が夜ですね、そんな感じの話にしました。加筆修正済みです。
あと陣の言葉は東北弁とのことなので、この話ではとりあえず山形県最上地方で使われている方言を基本的に用いています。(もう一
つの話も同じです)
陣ってどこまで訛ってるのかよくわからなかったので、やりすぎてるかもしれないです、てへ!
どこに置くか迷ったのですが、また新しい部屋作るのややこしいのでタイトル変えてお題部屋に置いてみたよ!