“これを飲み終わったら帰ろう。”
そう決めてからココアを飲むのがゆっくりになったのが自分でもわかって、思わず苦笑した。
ぬくもりを手放したくないから。だから。
学校帰りに伊勢のうちに寄るのはもうほぼ日課のようなもので、いつの間にか家具の配置もすっかり覚えてしまった。
ただ、時々自分がここにいることが信じられないような気持ちになることがある。
だって、仲違いしていた頃はまたこんな風に過ごせる日が来るなんて、願ったことこそあるものの、それは夢でしかないと思っていたから。
だがそんな気持ちになるのも今実際にここにいるからなのであろうし、それは不快でも何でもなく、むしろこの状態を一言で表すとするなら、幸せ、以上に当てはまる言葉はないんだろうなぁと思う。
ところで何故俺がこんな風にひたすら物思いに耽っているのかというと、この部屋の持ち主でありこの場で唯一の話し相手である伊勢が、俺にこのココアを作ってくれた後も今日の夕食を作る為に台所に立っているからだ。ちなみに今日はカレーだそうだ。ということはきっと明後日までカレーだろう。
最初の頃は俺も手伝おうとしたのだが、どうやら俺がいると邪魔になるようで(というか実際に「邪魔だから向こうで待ってろ」と言われた)、それからはお言葉に甘えてぼんやりと座っていることにしている。
まぁ台所とここは簡単な仕切りがあるだけで別に話そうと思えば話せるのだが、あいつが真剣に料理をしているのを見るのも面白いので(正直最初はあいつが料理するところなんて想像できなかったから)、こうやっておとなしくしているわけだ。
長くなったが、簡潔に言うと、
伊勢が料理中なので暇を持て余している
ということだ。
いやホント、頭の中ではこうして回りくどいとも言えるほど言葉が溢れているのにいざ口に出そうとすると上手く言えないのは何故なのか。
そういえば先程、この場で唯一の話し相手と言ったが、他人と話す時は言葉を選びすぎてかえって上手く話せなくなってしまう俺がこんなにも自然に話すことができる相手は、この場であろうがなかろうが、後にも先にも伊勢だけなんだろうなとぼんやりと思う。
もちろんそれでは駄目だということはわかってはいるのだが、それでも理解してくれる人がだんだんと増えてきた今、その問題と向き合うのを後回しにし続けてしまっている。
俺はこの部屋のあまりの居心地の良さについつい長居してしまいがちなのだが、伊勢はああ見えてとても優しいから、決して無理に帰そうとはしない。
夜遅くなればさすがに「そろそろ帰った方がいいんじゃねーの?」と言ってくれるが、泊めてと言えば簡単に泊めてくれる。(ただしわざとらしいため息付きだが。)
そんな優しさに俺はいつも甘えていて、結局この依存症から抜け出せないでいるのだ。
あいつが彼女でも作ってくれれば少しは俺も自立するんだろうが、それはそれで寂しいのでやっぱりこのままでいいやと現状維持の方向でいつもこの考えは終わる。
ちなみに俺が作るという手もまぁ考え方としては有りだが、この口下手では当分無理だろう。
そこまで頭を巡らせて無意識にカップを傾けてから、飲み終わってしまっていたことに気付いた。
『これを飲み終わったら帰ろう。』
「……」
「……伊勢、」
「ん?」
「今日泊めて。」
少しの沈黙の後に、わざとらしいため息。
「しゃーねぇなー。」
伊勢、お前はやっぱり、優しい。
すまん、と一応一言付け加えるべきかどうか迷って、
「ありがとな。……あとおかわり。」
笑って、微かに温もりが残るマグカップを振った。
また明日。から何ヶ月か経っている設定。
話は秋の終わり〜冬の始まりらへん。多分。